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「善意」が生み出す悪: 開沼 博さん

「善意」が生み出す悪        
開沼 博さん 1984年福島県いわき市生まれ 東京大学大学院 
 
 「今の福島から逃げないでいるって、人殺しと同じことですよね。」
 そんな言葉を聞いたのは都内で原発についての勉強会をする市民団体でゲスト講演をした後のことだった。
福島第一原発事故による放射線被ばくの被害が何年後か何十年後かに必ず明らかになる。
だから、被ばくのリスクがある子どもをもつ親は今すぐにでも「逃げる」べき、あるいは行政はそうできるような制度をつくるべきというのだった。
 事故前からも今も福島に通い続けている私は、その「善意」からでたであろう言葉に、それはそうだろうけれども、と思いながらも「そうですね」と返すことにもためらいを覚える。それは、「逃げる」ことが絶対善となることへの強い警戒心からだった。
 例えば、現地では、外にいる人間が使ってしまいがちな「逃げる」という言葉をあまり使わない。そのかわりに「避難する」という言葉が使われる。それは「逃げる」という言葉が「逃走」とか「逃避」とかいった言葉に含意されるように極めてネガティブな意味を持つからだ。福島県民が約二百万人、県外避難者が約六万人。これだけの状況でも実際に放射線を避ける形で避難している人は3%程度であり、多くの人は避難できない、避難しない現実がある。
 子を持つ家庭で避難を考えた際の軋轢は想像を絶する。「お前はここで仕事を続ける旦那をおいて」「歳をとった老人を残して」逃げるのかと。そんな「逃げる人、逃げられない人」の間に生まれかねない亀裂を少しでも和らげるために「避難する」という言葉が選ばれているように感じる。
 「逃げる」ことが絶対善となった瞬間、いかなる理由があろうと「逃げる」ことができない人が、結果的にではあるが「悪」になる。「子を抱えながらここに留まっている自分は人殺しなのだろうか」。ただでさえ苦しみを抱える立場にある被災者が他者の「善意」によって「悪」とされ、さらなる二重の苦しみを抱えることになる。
 「日本の成長と日本人の豊かな生活のために電力の低コスト安全供給をする」という圧倒的な「善意」の上で原発が作り出され事故に至ったこともまた、原発が絶対善と化した中での必然的な結果だったのかもしれない。
 いのちを守ろうとする「善意」が人々に苦しみを与えている状況を目にするにつけ、それを言葉にし多くの人に伝えることしかできない自分自身の無力感と、それをすべき立場にいる使命感を反芻している。
 
法蔵館発行    
くらしと仏教 「ひとりふたり・・・」2012年 第122号 いのちの言葉より
 
【開沼 博さん】 1984年福島県いわき市生まれ 
東京大学大学院 博士課程在籍 専攻は社会学。
主著に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)
 

1 thought on “「善意」が生み出す悪: 開沼 博さん

  1. 釈妙恭

    同感です。福島の方たちが、私達には想像し得ない様々な葛藤と苦しみの中で今を選択されている。私はこんな苦しみを与えてしまった原発そのものが嫌いです。「善意」という言葉もうそ臭い。「正しい」もわからない。でも何が嫌いかは自分でわかる。何が好きかもわかる。直感はきけんかもしれないけれど、私は自分の直感に素直に従う。

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