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「まさに知るべし、もろもろの衆生は、皆これ如来の子なり」

真宗大谷派 常福寺は、親鸞聖人のお念仏の教えをお伝えするお寺です。

お寺での法要や、聞法会といった法座を通して、また、大切な方のご葬儀やご法事を

通して、お念仏のみ教えをお伝えし、共にお念仏をいただいていくことが真宗大谷派

常福寺住職ならびに副住職の役目です。

「まさに知るべし、もろもろの衆生は、皆これ如来の子なり」(『涅槃経』)

如来さまの前では、誰もが平等である。

誰もが例外なく、未来に佛になる身として見出されているということです。

親鸞聖人の『教行信証』という書物に引用されているお経の文です。

本当に自分であるということを喜んで生きているでしょうか?生まれてきてよかったと

死んでいけるような人生を生きているでしょうか?

私たちは、この人間という身を生きているかぎり、分別、つまり、良い・悪いという判断

を常に持って生きています。

自分のことに関しても、他人のことに関しても、いちいち比較して裁かなくてはおれな

い身を生きているということです。

如来さまから平等に見られていると言われても、「坊主のきれいごと」としか思えない

のが普通ではないでしょうか。

仏様の教えは、鏡のようなものです。私たちの迷いのすがたを映しだしてくださる仏

さまの御慈悲がお念仏というすがたをとって、私たちのところに届けられているのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ご一緒に称えましょう。

私が私であるということを喜べない私であります。生まれてきたよかったと死んでいけ

る準備がいつまでたってもできない私です。

私たちは、定まらない身を生きているのです。そのことを教えてくださるのが仏法です。

「まさに知るべし、もろもろの衆生は、皆これ如来の子なり」如来さまは呼びかけてくだ

さいます。

「十方衆生よ ただ念仏を称えよ」と。 ただ念仏申すものが生まれることを、

何よりも尊いこととして喜んでくださる仏さまです。

ただ念仏申すものが生まれることを、何よりも尊いこととして喜んでくださるのが親鸞様

です。

そしてその教えを大切に聞いてきたサンガ、お念仏の朋の世界です。

南無阿弥陀仏  ご一緒に称えましょう。

お念仏をともしびに、悩みながら、つまずきながら、共に確かめあいながら、お浄土へ

の一本道、ご一緒しませんか。

 

親鸞聖人のお念仏のみ教えを聞きたい、仏法を聞きたい方、ご一緒に聞法して参りま

しょう。

人生相談、仏事相談、お墓についてのご相談、ご連絡ください。

真宗の教えを親鸞聖人の言葉に学んでいきたい方、ぜひご連絡ください。お待ちし

ています。

真宗大谷派 副住職    畠山 浄