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表白 第十八世釈顕浄住職継職奉告法要

第十八世釈顕浄住職継職奉告法要におきまして、以下のとおり表白し、誓いを建てました。
前住職いわく「本当に表白のとおり生きるかどうか、お内仏にしまっておいて、数十年後に確かめてください。」

表   白
 本日ここに、阿弥陀如来と十方の諸仏方の御照覧の下、親戚法中・御門徒各位・有縁の同朋の御参集を賜わり、常福寺親鸞聖人報恩講にあわせて住職継職奉告法要を勤修させていただくことであります。
住職継職にあたり、御本尊に真向かい、誓いを述べたいと思います。
顧みるに、常福寺は鹿島郡矢田郷の地に享禄二年(一五二九年)、宗祖親鸞聖人の開顯なされた本願念仏の聞法道場として建立され、戦国時代の後に郡町、そして火災に遭って現在地への移転を経て、今日に至るまで四八六年もの長きの間、御門徒の皆様のお念仏の声によって伝灯されてきました。
能登半島地震では、老朽激しい本堂が全壊の被害に遭いました。しかし、その苦しみを共にした西佛寺と常福寺が合併し、一体となって、西佛山常福寺の名告りのもとに、本願念仏を、この身に、この世に、共に確かめていくサンガの実現を目指して再出発したのであります。
常福寺十八世住職に就任させていただくにあたり、今ここに感慨をもって思い出されるのは、本堂に全壊の判定が下り、会館を仮本堂として阿弥陀様をお迎えした頃のことです。座敷で御門徒の皆様と同じ平座に座り、同じ阿弥陀様の方に向かってお念仏申させていただきました。
 親鸞聖人ご在世の頃から七五〇年ばかり。阿弥陀様の背後から阿弥陀様の化身とでも言わんばかりに登場してお内陣に座り高い所で立派な衣をまとうような儀式に何の疑いも持っていなかった私をひきずり降ろしてくれたのは思いもよらない能登半島地震でした。降ろされたところで聞こえてきたのは御門徒の皆様のお念仏の声でした。そして、この私を無量なる光によって照らしてやまない阿弥陀様のお姿でした。照らされるべき場所に立った時、初めて見えてきた、聞こえてきた世界がありました。
親鸞聖人、あなたは、自ら救われよう救われようと、道を求めても求めても救われない中、「あなたと共に生きたい。あなたと共に救われたい。私はあなたにとって同朋なんですか」という人々の悲痛な叫び声に出遇い、修行の地、比叡山から引きずり降ろされました。
そして、阿弥陀様の光に照らされながら、この苦悩やまぬ身を共々に生き抜いていける、大いなる道を、人々のお念仏の声と共に歩まれました。身を煩い心悩まし、怒り・貪り・実のところ何が善で何が悪かもわからない、どうにもならないことの連続の中で生きる人々の苦悩の姿、苦悩の声にこそ阿弥陀様の光のはたらきが宿っているのだと出遇われたのです。共に生きよという声にあなたは出遇われたのです。ただ人として生きよと。そこに安んぜよと。
私は、あなたの姿を身近に感じます。それは、私のようになれるようにここまで来いという姿ではありません。たった今も私の隣で、涙しながら、人間の身を生きよ、共に生きよという如来様の呼びかけに応えて歩み続ける姿です。
私も歩み続けます。この共なる大地に立ち、あなたの遺徳を偲び、黒衣墨袈裟の姿を大切にし、同朋唱和、共にお勤めできる儀式を大切にして参ります。   
この場が、聞法、仏法に生きる意味、生きる力を照らし出される聞法の道場として実っていくための畠を耕し続けることを誓います。
貧しさの中、悲しみの中、寄る辺のない苦しみを抱える人が、教えを必要としている人が、足を運べる敷居の低い場となるよう努力を惜しまないことを誓います。
能力や貧富、健康、職業、人格、生まれなどの差に生きる意味、人間の価値を見出すのではなく、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」と、ただ念仏する人が生まれるところに人間の意味を、成就の姿を見出していく往生浄土の道を御門徒・有縁の皆様と共に歩まんと、お念仏申して生きていくことを、重ねて此処に阿弥陀仏十方三世の諸仏方に誓うものであります。
 二〇一五年一〇月二五日
                 常福寺 第十八世住職 釋顯淨 敬白