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聞法のはじまり

私、釈顕浄は、2000年の春に海外修行放浪生活に終止符を打ち、

真宗大谷派にて得度をいたしまして僧侶になりました。

当時もうすでに26歳になっており、時間的にも特に経済的にも余裕が無かったために、

真宗大谷派の僧侶養成学校には行かずに、検定試験及び修練を経て住職の資格を取得しました。

親鸞の教えに学ぶために、自ら聞法会に足を運び、そして自ら輪読会を立ち上げるなどして、とにかくお経やお聖教に多く触れることに努めました。

2002年からは本山の同朋会館嘱託補導として全国から上山される奉仕団の御同行と共に聴聞する機会にも恵まれました。

2004年の初めに能登青草びとの会という自主学習会に参加した時に、

親鸞の『教行信証』を学び続けている藤場俊基氏に出あったのが転機となりました。

藤場さんの『親鸞の教行信証を読み解く』を読み続けながら、たまたまのご縁で常讃寺さんで毎夏開催されている夏季講習の班担をさせていただくなどするうちに数年が経ちました。

そしてあの能登半島地震が起こりました。4年前の2007年の3月のことです。

まさに天地がひっくりかえりました。老朽化が進んでいた常福寺の本堂は大きく傾き全壊の被害を受け、堂大工さんに見ていただいたところ、修理のしようがないとのことでした。

本堂再建が動きになるまでにその後二年間かかったわけですが、

当たり前にずっとあるものと思っていたものが一瞬で崩れ去ることを目の当たりにし、足場が音を立てて崩れ去っていくのを感じる中で、

「何のために本堂を再建するのか?」「自分は今まで安穏として過去の遺産の上にあぐらをかいてきたのではないか?」と、根本的な問いが襲ってくるようにやってきました。

そして、私の聞法生活は一変しました。

自分で考えた末に行動を決定・実行したというのではなくて、

身を動かさずにはおれない縁にであってしまったのでした。

それまでの中途半端な知識の上に平気であぐらをかき、物知り顔をするようなあり方が、

通用しない場に、それがどれだけ遠かろうとも自ら身を運ぶようになったのです。

あれから、もう4年になりますが、

ただ念仏する者が生まれるところに阿弥陀仏の本願が成就しているという

親鸞の「ただ念仏すべし」の教えを日々聴聞しながら生きています。

本堂はまだ再建かなわず、抱えているさまざまな悩みや苦しみもどうにもなっていませんが、目の前にひらかれている現実がどのようなものであっても、そこに生きていく力をたまわって生きています。

それは、念仏の道です。どこまで歩めるかとか、どんな速さで歩めるかとかは、人の価値に何の違いももたらさない道です。ただ、なまんだぶつ、なまんだぶつと、他者との関わりの中で互いの声を聴きながら悩ぶべきことを悩み、課題とすべきことを担いながら、できるところまで歩んで生きていきます。
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