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体内被曝について、ようやく理解が深まってきました。

ヨウ素
ヨウ素は、半減期8日だけども、細胞分裂がさかんな子どもたちの甲状腺の中で8日未満の間、遺伝子を傷つけることになる。傷ついた遺伝子は元通り修復されないまま分裂し続け、甲状腺がんが現れるのは5年経過してから始まり、10年後がピーク(チェルノブイリの例汚染地区が多いゴメリ州全体で、子ども約1000人に1人)。

セシウム
セシウムは体内に100日程度とどまり、体外に排出されるけども、汚染が継続している土地の野菜・牛乳を摂取し続ければ、30年の半減期までずっと100日間の体内被曝をを繰り返すことになってしまう。
また、生物による生体濃縮が進んで体内被曝量が増加するのが危険。

体内被曝は、放射性物質からの距離がゼロに近いのと、四方八方に放射線を出し続けるので、微量であっても、避けなければいけません。

体内被曝と体外被曝の被曝の程度の違いは、条件によって様々なので、

1+1=2  最低2倍で見積もるようです。

内部被曝は ×時間  。放射性物質が体外に排出されるまでの間、被曝し続けます。

また、子どもたちは影響を受けやすいとの指摘があります。2倍から10倍。

 

資料

原子力資料情報室

放射線被ばくを考えるhttp://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1028

被ばくを避けるためにhttp://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1036

 

 

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東京の浄水場に暫定基準値以上(200bq/L以上)の放射性ヨウ素が検出され、

東京のスーパーでは、もうすでにミネラルウォーターが売り切れてしまったと友人から電話。

 

買占めたくなる気持ちは分かる。

雨が運んできた放射能の一時的な影響ならよいが、この状態が続けば、

西日本から飲料水メーカーのミネラルウォーター在庫を大量に東京へ送る必要が出てきそうだ。増産も始めなければならなくなる。

被災地への救援物資としても需要が増えているだろうから、どうなるか心配だ。

 

ところで、一つ書いておきたいことがある。

ヨウ素の半減期についてである。

「ヨウ素の半減期は8日間だから8日たてばもう安心です。」という言説をよく見かけるけども、これでは不十分な説明だ。

半減期は、放射性物質が放射線を出し別の元素に変化する期間の目安だが、全体が変化するのではなく、半分だけ減る目安の期間である。

早く放射線を出す原子もあれば、遅いものもあり、ばらつきがあるだ。

ヨウ素131の場合は8日間で半分が同位元素キセノン131に変化する。

半減期の10倍の期間がたつと、つまり、8日たつたびに半分になることを繰り返し、

元の1000分の1ほどに弱まる。2カ月経てば、ずっと弱くなるということだ。

繰り返すが、

放射性ヨウ素は8日間でなくならない。

半分になるのだ。なくなるわけではない。

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誤った情報に従って被曝しないように、正確な情報に基づいて冷静に行動しましょう。

 

全国の水道水の放射能 http://atmc.jp/water/

など情報を集めながら、状況の推移を見守りましょう。

 

水道水のヨウ素量のデータの読み方については

「WHO飲料水質ガイドライン」を少し読んでみた を参照してみてください。

 

※半減期は放射性元素によって異なるし、崩壊方式も違う。つまり、何に変化するかも違う。変化した後、さらに放射線を出してから落ち着くこともある。

資料:原子力資料情報室

ヨウ素131

http://cnic.jp/modules/radioactivity/index.php/11.html

セシウム137

http://cnic.jp/modules/radioactivity/index.php/13.html

 

 

2011年03月23日12:36
水道水の汚染データと政府が示す基準について少し調べてみました。
確かに政府のいう「ただちに影響はない」値、
つまり即死したり、
すぐに症状がでたりしないであろう値ですが、
いかがなものでしょうか。一番最後に書きましたが、ホットスポットになっている地域が心配です。

WHO飲料水質ガイドライン
http://whqlibdoc.who.int/publications/2004/9241546387_jpn.pdf

224p~ 第9 章 放射線学的観点

229p  表 9-2 一般成人による放射性核種の摂取に関する線量換算係数

230p  表 9-3 飲料水中の放射性核種のガイダンスレベル

WHOによるとヨウ素131は10Bq/L セシウム137も10Bq/L が基準となっている。

このガイダンスレベルは「0.1mSv/年に相当する」量として定められているようだ。

現在の日本の暫定基準値
ヨウ素131  300ベクレル(Bq/L)  乳児は100ベクレル(Bq/L)
セシウム137 200ベクレル(Bq/L)

ということは、つまり1年間飲み続けると

ヨウ素131  3mSv/年  乳児は1mSv/年
セシウム137  2mSv/年

の実効線量を被曝する量です。

政府はこれを許容範囲として定めたのでしょう。
CTスキャン一回分より少ないから安全という無茶苦茶な理屈の延長線上の論理でしょう。

ちなみに、一般公衆の安全基準は、1mSv/Y(自然放射線と医療によるものは除く)と定められています。

これがどれだけ危険な値かは、意見が分かれるところですが、
10Bq/Lの水は飲用はひかえるべきだと思います。

また、放射能汚染はホットスポットという言葉がありますが、
地域によって風向きなどの関係で汚染にかたよりができ、
大きな差がうまれます。
ですので、市単位ではなく1km2や10km2のような小さな単位ごとに
調査が必要ではないかと素人ながらに思います。
場所によっては、とんでもない値がでるところもあるはずです。

晩発障害といって、何年もたたないと症状が現れないないだけに、
因果関係の証明も難しいですし、
できるかぎりの予防策を自衛策としてうたなければいけないでしょう。

素人ながら、坊さんながら
そう思ってなりません。

★Bq(ベクレル)・Gy(グレイ)・Sv(シーベルト)の区別について

ベクレルは放射性物質から飛び出す弾(放射線)の数、

グレイは当たった弾の数、

シーベルトは被害の程度を表す。

ベクレルが大きい放射性物質でも、その物質からの距離によって受ける放射線の量(グレイ)も被害(シーベルト)も違う。 グレイとシーベルトが分かれてるのは、アルファ線かガンマ線で被害の度合いが変わるため。

 

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3 Comments

Filed under 原発

 

3 Responses to 「WHO飲料水質ガイドラインを少し読んでみた

  1. shakukenjo

    NHK

    東京 浄水場からヨウ素検出
    3月23日 14時31分
    東京都は、葛飾区にある都の浄水場の水から1リットル当たり210ベクレルの放射性ヨウ素131が検出されたと発表しました。東京都は、乳児が摂取してよい基準の上限となる1リットル当たり100ベクレルを超えているとして、この浄水場の水道水を利用する東京23区と武蔵野市、町田市、多摩市、稲城市、三鷹市で、乳児に限って水道水の摂取を控えるよう呼びかけています。厚生労働省は、「乳児が飲んでも直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」としたうえで、念のため、乳児の飲み水や粉ミルクを溶かす水として利用しないよう呼びかけています。

    雨による一時的なものならよいのですが。。。。
    このニュースで気になるのは、母乳をひかえることを伝えていないことです。
    母親が飲めば、母乳を通して乳児に入ります。

    今は、落ち着いて情報を集めて冷静に考えて行動することですね。

  2. Pingback: ヨウ素の半減期について | 真宗大谷派 常福寺
  3. 転載させていただきました。分かり易い資料ありがとうございます。
    また時々は意見させていただきます。

森達也さんの『A3』を読了した。

映像の台本のような構成で、ぼく的には読みやすかった。

読んだ感想は、まだうまくいえないんだけども、

中川智正さんのインタビューのところを読んでいて強く感じたこと。

神秘体験にとらわれることだけでなく、
境地や理解、能力にいたるまで、
あらゆる体験に関して言えることだけども、

体験に執着し
その体験の度合いによって
人間の価値を決める価値観が生み出される。
そんな価値観によって生きることから
人間の苦しみの多くが生まれている。

その価値観によって生きるとは、
世界を意味のあるものと
意味のないものに分別することから始まり、
価値観を体現するものを頂点とするピラミッド社会を構成し、
そして、ひたすら上を見て生きていくこと。
下にあるものを卑下し、
ピラミッドの外に存在するものを排除しながら生きること。

うまく言えないんだけども、
そういうあり方から誰も逃れられない。

そして、誰も逃れられないからしょうがないではなくて、
ぼくらは逃れたくてしょうがなくて、
それで、また新たなピラミッドをつくりあげて
同じところをぐるぐるまわっている。

どんな体験も人間の価値に差を生み出さない世界を生み出す力をぼくらは必要としている。

神秘体験については、20歳過ぎのころさんざん体験して、
おそろしくとらわれていたけども、
念仏の教えのおかげで、相対化することができてきた。
神秘体験は強烈な体験なだけに、とらわれやすいし、
とらわれたら、そう簡単に相対化することはできない。
でも、体験が強烈なだけに認識対象となりやすい。

ところが、ぼくらの日常にひそむ意味への執着が生み出す闇は
その多くは、
世間によって正当化されることで見えなくなっている。
それが問題とされることも希だし、認識することも難しい。
世間のピラミッドからはみ出した場合にだけ、
顕在化し問題視される。オウムの事件のように。
オウムの価値観は、宗教的な別世界の価値観ではない。
この日本の社会の価値観の延長線にある。

宗教体験における強烈な意味への執着と、それによってつくりあげられる差別的な世界観を問題にすることは、単に宗教の問題性を明らかにする営みではない。
むしろ、そのことを通して、ぼくらの日常にひそむ、意味への執着によってひらかれている地獄・餓鬼・畜生の世界を明らかにしていく営みになっていかなければならないと思う。
それは、オウムを生み出したこの日本の社会という国土の因果を、
その社会を作り出している構成員の一人として明らかにしていく営み。

気づいて終わりというものではない。社会という人間と人間の関係性の中で、
人間ある限り、共に担い続けなければならない課題がそこにある。

親鸞が化身土巻において課題とされたことに出会っていくことを通して
現代の言葉で、表現できるようになりたい。

もどかしい。非常にもどかしいものをずっと抱えてる。

追記
神秘体験を相対化することができたことは、非常に希有なことなんだと思う。

ぼくにとっては、「ただ念仏すべし」の教えにであえたことに尽きる。

誰にとってもそうではないことはわかっているつもりだ。

ただ、この、あらゆる体験を相対化して人間と人間の間に差別を生み出す執着を明らかにする教えを、ぼくと同じように神秘体験にとらわれ生きる人たちに伝えれるものなら伝えたい。
伝えようと思って伝わることではないことは重々承知だ。
痛いほどに思い知らされた。

けども、ぼくにとっては、忘れてはいけない課題がここにある。

そして、その課題は、神秘体験にとらわれた者にとってしか意味の無い特殊な課題ではない。
やっかいだけども、できるかぎりのことをしたい。できるかぎりのことしかできないのでだけども。

遅々としか歩めないけども。忘れたくない。

私、釈顕浄は、2000年の春に海外修行放浪生活に終止符を打ち、

真宗大谷派にて得度をいたしまして僧侶になりました。

当時もうすでに26歳になっており、時間的にも特に経済的にも余裕が無かったために、

真宗大谷派の僧侶養成学校には行かずに、検定試験及び修練を経て住職の資格を取得しました。

親鸞の教えに学ぶために、自ら聞法会に足を運び、そして自ら輪読会を立ち上げるなどして、とにかくお経やお聖教に多く触れることに努めました。

2002年からは本山の同朋会館嘱託補導として全国から上山される奉仕団の御同行と共に聴聞する機会にも恵まれました。

2004年の初めに能登青草びとの会という自主学習会に参加した時に、

親鸞の『教行信証』を学び続けている藤場俊基氏に出あったのが転機となりました。

藤場さんの『親鸞の教行信証を読み解く』を読み続けながら、たまたまのご縁で常讃寺さんで毎夏開催されている夏季講習の班担をさせていただくなどするうちに数年が経ちました。

そしてあの能登半島地震が起こりました。4年前の2007年の3月のことです。

まさに天地がひっくりかえりました。老朽化が進んでいた常福寺の本堂は大きく傾き全壊の被害を受け、堂大工さんに見ていただいたところ、修理のしようがないとのことでした。

本堂再建が動きになるまでにその後二年間かかったわけですが、

当たり前にずっとあるものと思っていたものが一瞬で崩れ去ることを目の当たりにし、足場が音を立てて崩れ去っていくのを感じる中で、

「何のために本堂を再建するのか?」「自分は今まで安穏として過去の遺産の上にあぐらをかいてきたのではないか?」と、根本的な問いが襲ってくるようにやってきました。

そして、私の聞法生活は一変しました。

自分で考えた末に行動を決定・実行したというのではなくて、

身を動かさずにはおれない縁にであってしまったのでした。

それまでの中途半端な知識の上に平気であぐらをかき、物知り顔をするようなあり方が、

通用しない場に、それがどれだけ遠かろうとも自ら身を運ぶようになったのです。

あれから、もう4年になりますが、

ただ念仏する者が生まれるところに阿弥陀仏の本願が成就しているという

親鸞の「ただ念仏すべし」の教えを日々聴聞しながら生きています。

本堂はまだ再建かなわず、抱えているさまざまな悩みや苦しみもどうにもなっていませんが、目の前にひらかれている現実がどのようなものであっても、そこに生きていく力をたまわって生きています。

それは、念仏の道です。どこまで歩めるかとか、どんな速さで歩めるかとかは、人の価値に何の違いももたらさない道です。ただ、なまんだぶつ、なまんだぶつと、他者との関わりの中で互いの声を聴きながら悩ぶべきことを悩み、課題とすべきことを担いながら、できるところまで歩んで生きていきます。
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いよいよ親鸞聖人の七百五十回御遠忌の年を迎えました。

今こそ一人ひとり、それぞれの身を生きて死んでいくことのか

けがえのなさを親鸞聖人のお念仏のみ教え、「ただ念仏すべし」の教えに聞いていく年にしたいものです。

今年は常福寺本堂再建の年でもあります。

私たち一人ひとりの境遇(出会ってきたもの、感じてきたもの)を通して仏法聴聞し、そして互いに確かめ合いながら、必ず生老病死するこの身をいただいていく大切な聞法道場を建立する出発の年です。

「悩みながら、今を生きる力 浄土真宗」

思い通りになっていかない人生が駄目な人生というのでは、私たちは生きていくことも死んでいくこともできません。

浄土真宗は、過去の結果である現在を、今の時を回復させる力です。

思い通り救われることをよしとするのでもなく、思い通りにならないことをよしとするのでもない。よしあしではなく、どのような現実が目の前に開かれていても、その現実を共に開いている「我ら」として生きるのです。

私たちが抱えているどのような苦しみも悩みも個人だけに帰するものはありません。「いのちはみんなつながっている」と言う時、見落とされがちですが、私たちはつながりを生きているがゆえに苦悩します。出会う縁によってその大きさはさまざまですが、人間として生きているからには、私と無関係な苦悩などないのです。

今年も自殺者が三万人を超えました。その現実と自殺しなかった私は無関係ではないと言われても当惑するだけかもしれません。それでも、「私は大丈夫だから」とか「自殺する人はそういう人なんだ」というような「わかった者」になるのではなく、縁によって誰にでも起こることとして、目の前につきつけられた現実と悩みながら向き合い、それぞれが担っていけるだけの課題を担い合いながら生きていきたいものです。

人間の悩みは、心の持ち方や気晴らしで消えるようなものではありません。むしろ、悩みを無いものにすることをよしとすることが、人間から生きる力を奪っているように思えてなりません。苦悩する人間を人間のあるべきすがたでないとしてしまっては、人間が人間として生きて死んでいくことができなくなってしまうのです。

「悩みながら、今を生きる力 浄土真宗。」

ただ念仏すべしとの教えの中からいただいている言葉です。身を煩わせ、心を悩まし生きる者として、人間としてこの生老病死する一生を生ききっていきたいのです。

長くなりましたが、

浄土真宗は、今を生きる力を育む無量なるいのちと光の流れ、

ただ念仏すべしという教えです。

ただご一緒に念仏申していきましょう。

本年もどうぞよろしくお願いします。 合掌   釈 顕浄


ご挨拶

管理人の釈 顕浄です。常福寺の副住職をしています。

このたび常福寺のウェブサイトを始めることにしました。
至らないところばかりですが、一歩一歩あゆんでいきますので、
お手柔らかによろしくお願いします。

2007年3月25日、能登半島地震が発生しました。

天明2年(1782年)に建立された常福寺旧本堂は、老朽化と地盤沈下の影響もあり、西側へと大きく傾き全壊判定の被害を受けました。

ご本尊は、境内地にあります常福寺会館へお移りになり、仮本堂にて仏事を営んでもう4年の年月が流れようとしています。ご門徒の復興を先とし、常福寺再建の歩みが具体的になりましたのは地震から2年経った2009年の4月でした。それ以来、ご門徒の皆様をはじめ有縁の皆様より、不景気の続くこのご時世の中、大変なご苦労のもとにご懇志を重ねていただいておりますことはまことにありがたいことであります。

2010年春に旧本堂を解体し、2011年春には、いよいよ着工を目指しております。

今後とも、私たちが依って立つべき真宗のみ教えをいただく聞法道場の再建に向けてご理解・ご協力たまわることをなにとぞよろしくお願いします。

合掌

追伸

2011/06/26 上棟式を行いました。写真など後日掲載させていただきます。

4年の歳月を経て多くの皆様のご懇志とご協力のもとここまでたどりつくことができました。

厚く御礼申し上げます。

 

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2010年に北國新聞に載った常福寺本堂再建についての記事を記録するために載せておきます。

2010/04/09付朝刊――――――――――――――☆
◎七尾最古の木造建築/常福寺の本堂再建へ/地震で「全壊」判定受け
 七尾市内で最古の木造建築とされる同市相生町の真宗大谷派常福寺本堂が解
体、再建されることになった。3年前の能登半島地震により市から「全壊」判
定を受けたためで、新本堂には現在の柱材を使い、内陣を江戸期の様式に戻す。
 門徒総代会などが決めた計画によると、現本堂のケヤキの柱などを活用しほ
ぼ同じ大きさの本堂に建て直す。内陣は、本尊と両脇に安置されていた仏像が
一列に並ぶ「一列仏壇」の様式を再現する。
 木越祐馨七尾市文化財審議委員によると、「一列仏壇」の内陣様式は江戸後
期まで主流を占めたがその後全国の大半の寺院で改修された。県内で同様式が
当時のまま現存するのは志賀町の常徳寺だけで、加賀市の常願寺は本堂再建時
にこの様式に改めた。
 同寺は室町期の享禄年間(1528~31年)に国分寺境内(現七尾市古府
町)に建立され、加賀藩祖前田利家の能登入国に伴い数度の移転の後、現在地
に移った。
 本堂は棟札によると天明2(1782)年2月の建造。市街地が明治期に2
度にわたって大火に遭った七尾市内では最古の木造建築物とされる。
 能登半島地震後、同市から「全壊」判定を受けた後は、本尊や仏具一式を別
棟の門徒会館に移して法要などを営んできた。
 畠山和徳住職(66)は「現本堂の建立はちょうど天明の飢饉(ききん)の
ころに当たる。新本堂は、当時の門徒たちが寺に寄せた思いが伝わるような建
物にしたい」と話している。