「悩みながら、今を生きる力 浄土真宗」
思い通りになっていかない人生が駄目な人生というのでは、私たちは生きていくことも死んでいくこともできません。
浄土真宗は、過去の結果である現在を、今の時を回復させる力です。
思い通り救われることをよしとするのでもなく、思い通りにならないことをよしとするのでもない。よしあしではなく、どのような現実が目の前に開かれていても、その現実を共に開いている「我ら」として生きるのです。
私たちが抱えているどのような苦しみも悩みも個人だけに帰するものはありません。「いのちはみんなつながっている」と言う時、見落とされがちですが、私たちはつながりを生きているがゆえに苦悩します。出会う縁によってその大きさはさまざまですが、人間として生きているからには、私と無関係な苦悩などないのです。
今年も自殺者が三万人を超えました。その現実と自殺しなかった私は無関係ではないと言われても当惑するだけかもしれません。それでも、「私は大丈夫だから」とか「自殺する人はそういう人なんだ」というような「わかった者」になるのではなく、縁によって誰にでも起こることとして、目の前につきつけられた現実と悩みながら向き合い、それぞれが担っていけるだけの課題を担い合いながら生きていきたいものです。
人間の悩みは、心の持ち方や気晴らしで消えるようなものではありません。むしろ、悩みを無いものにすることをよしとすることが、人間から生きる力を奪っているように思えてなりません。苦悩する人間を人間のあるべきすがたでないとしてしまっては、人間が人間として生きて死んでいくことができなくなってしまうのです。
「悩みながら、今を生きる力 浄土真宗。」
ただ念仏すべしとの教えの中からいただいている言葉です。身を煩わせ、心を悩まし生きる者として、人間としてこの生老病死する一生を生ききっていきたいのです。
長くなりましたが、
浄土真宗は、今を生きる力を育む無量なるいのちと光の流れ、
ただ念仏すべしという教えです。
ただご一緒に念仏申していきましょう。
本年もどうぞよろしくお願いします。 合掌 釈 顕浄
2011年1月1日、本ブログを開始した際の新年のご挨拶を再収録しました。