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さる2019年10月20日から21日の2日間、100名を超える大勢の御参詣をいただき、報恩講が勤まりました。ありがとうございました。
昨年に続き、丹波篠山市法傳寺ご住職長田浩昭さんによる御絵伝絵解き法話が非常に好評でした。御伝鈔拝読は今年も現代語訳サブタイトルつきの動画を流しました。20人あまりの役員会中心にみんなで力を合わせての報恩講でした。お勤めも僧俗共に声を合わせて一体感のあるすばらしいお勤めでした。西佛山常福寺ではこれからも、 南無阿弥陀仏の信心たまわる大事な道場を 門信徒の皆さんと共に開いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

今年も報恩講の季節がやってまいりました。ご一緒にお聴聞しましょう。

西佛山常福寺 親鸞聖人報恩講の御案内
  10月20日(日)午後2時から4時半頃
   正信偈のお勤め、帰敬式法話
   絵解き法話(1時間)、御伝鈔拝読

  10月21日(月)午前10時から12時半頃 
   正信偈のお勤め他、絵解き法話(1時間半)

 21日は、おときがあります。お電話でお申込みください。
    法話:長田 浩昭師(兵庫県篠山市法伝寺住職)

午後2時より4時  読経・勤行後法話

祠堂経会のご案内 どなたでもお参りいただけます。
日時 9月14日(金)より16日(月) 
   午後2時より4時  読経・勤行後法話
    テーマ「いのちの声を聞く」

法 話
13日(金) 林  史樹師(高岡市)
「私は誰とともにどう生きるのか」
講師からのメッセージ
「私は誰とともにどう生きるのか」これは私の人生のテーマであり、 問いです。親鸞聖人の生き方をとおして、私がどこに立って誰の声 を聞き、何を課題としてどう生きるのかを ともに考えたいと思います。

14日(土) 早嵜 和典師(滋賀県)
講題「お念珠から教えて頂くこと」
講師からのメッセージ
今回もお話しとお念珠作りをさせて頂きます。滋賀県長浜市早崎町の 要誓寺住職 早嵜和典です。少しのお時間ですが、お念珠が教えてく れることと実際に皆さんで手作り念珠を作って、「世界に一つだけの マイ念珠」を手にお念仏申しましょう。皆さんとお会いするの楽しみ にしてます。よろしくお願いします。

15日(日) 酒井  智師(北海道)
講題「ハンセン病と真宗
     -共に生きるを考える- 」
講師からのメッセージ
私たちの周りには様々な差別が存在します。その差別の姿とは、人間 が人間性を失った姿なのだと思います。差別をするということは、差 別するこの私自身が人間性を失っていくということなのではないでし ょうか。そのようなことを皆さんと一緒に考える時間が持てたらと思 います。

16日(月) 松本 良平師(滋賀県)
「心の片隅に隠した想いとは 」
講師からのメッセージ
「いのちの声を聞く」のテーマをいただき、この「心の片隅に隠した 想い」という題をつけさせていただきました。
三年前に起きた事件を通して、私の中にある優性思想(いのちに優劣 をつける)を見ながら、皆さんと一緒にいのちへの眼差しを尋ねてみ たいと思います。よろしくお願いします。

さる6月6日の夜、NBB能登仏教青年会主催でお寺カフェを開催しました。老若男女28名ほどのご参加をいただきました。

本堂で映画「生きるのに理由はいるの?「津久井やまゆり園事件」が問いかけたものは・・・」上映の後、庫裏でコーヒーとケーキいただきながら座談会をしました。

日時 2019年 06月 06日 (木) 19時 00分
NBB能登仏教青年会主催
お寺カフェ   参加費500円
仕事で疲れた一日の終わりに お寺で のんびり語り合い

[日時]6月6日(水)PM7:00~9:00
[会場]西佛山常福寺 七尾市相生町91番地
コーヒーを飲みながら毎回決まったテーマについて語り合う場です。どなたでもご参加いただけます。
               
ドキュメンタリー映画「生きるのに理由はいるの?
「津久井やまゆり園事件」が問いかけたものは…」上映

  上映後、コーヒ―を飲みながらお話、話し合い

お話する人 佐々本 尚 さん (鯖江市 専光寺住職)

お茶を飲みながら、深呼吸できる時間をご一緒しませんか。

どなたでもご参加いただけます。
駐車場に限りがありますので、満車の場合は、近隣の駐車場をご利用ください。

予告編です。

春の祠堂経会の御案内

日時 2019年 6月 6日 (木) 、7日(金)
両日とも14時 00分 から16時00分
     祠堂総読経・正信偈のお勤め・法話
講師 佐々本 尚 師(鯖江市専光寺) 
講題  人間とは何か

 (講師からのメッセージ)
 私は子どもの頃(約40年程前)いわゆるお年寄りというものは寝ても覚めても念仏し、家族からは一目置かれ尊重されているという認識をもっていました。
 ところが昨今のお年寄りは若い人に気を遣い縮こまって、卑下している方が目に付きます。
 話をお聞きしていると自らを卑下し、若い人に気を遣って干渉せず、なるべく世話をかけないように努めているように感じます。
 ほんの数十年で一体何が変わったのだろうと色々考えてきましたが、これといった確信は持てずにいます、しかし今回のご縁では自分自身が持つ人間観(人間とはこうあるべきであるという思い)が自分自身を追い詰めてしまっているのではないか?という問題を「障害者」という存在を手がかりに考えてみたいと思っております。